「元気?」という母からのLINEに何て返せばいいのか分からなくなった。

元気だけど。不調とか無いけど。“けど”の後に何か続けたい言葉がある気がして。

「仕事は辞めたいかなぁ」「転職先探すのも億劫で」「甘えなのかな」「辞めても良いと思う?」…………何で私は血の繋がった仲の良い母に返す言葉をこんなに考えてるんだろう。


仕事辞めてもいいか、甘えなのか、なんてもう自分で考えなきゃいけない。“良いかな”なんて訊いてるようだから大人になれない。でも母に否定されたら苦しい。否定されなくても心配されて大事になるのも嫌だ。

思えば昔から怒られるようなことはしてこなかったし、大事になるくらい心配されるようなこともしてこなかった。したとしても隠し通してきた。だから今更、母の感情をかき乱すようなことは出来ない。

怒られたくない。肯定されていたい。そういう臆病な気持ちが先にあるのか。怒らせたくない。悲しませたくない。母には穏やかでいて欲しいという願いが先にあるのか。どっちが先なのか分からないし、片方は建前なのかもしれないし、それも分からないし。


でも、愛する人には幸せでいて欲しいんだ。

この気持ちは確かなのだろう。確かだと思いたい。


大切な人には、私の事で苦しんで欲しくない。例え私が、その為に苦しんでも。その苦しさは他の誰かに支えてもらって。大切な貴方の負担にはなりたくない。

とはいえ、大切な人にも明け渡せない苦しみを、そうでない人に明け渡せるわけもない。私が全部持っていくしかない。

逆に、私が大切に思う人が、私のことを同じように大切に思ってくれているとは、胸を張って言えない。「貴方が私にそう思っているように、私だって貴方にそう思ってる。だから一人で抱え込まないで!」 そんな台詞が、私に対して向けられるなんて信じられない。


何なんだ。何だこの面倒臭い女。悲劇のヒロイン気取りかよ。


でも本当に信じられない。そんなこと言ってもらえるような生き方してない。たぶんそんなギリギリの崖っぷちじゃないし。たぶん、まだ頑張れる余白残してるし。たぶん、まだ折れて人に頼らなきゃならないところまで来てないし。

いや、でも、そんなこと言ったら私いつ人に頼るんだ? 心が死んでから? 身体が壊れてから? それって手遅れなんじゃないか? 私だったら「もっと早く頼ってくれて良かったのに」って思うタイミングじゃないか?

え、私「もっと早く……」なんて思ってもらえるような人間なのか?

物事をシンプルに考えられない悪い癖だ。この堂々巡りずっと終わらないぞ。

たかが命綱、されど命綱。

学校とか会社とか、「やらなきゃならないから」って理由をくれるそれらを使って、“許容範囲”の内側を進んできた気がする。

倒れたりしないように、壊れたりしないように、かつ誰にも迷惑は掛けないように、ちょっとずつ、“許容範囲”からははみ出さない程度に、休んだりしてやってきた。



でも、「この“許容範囲”に留めてくれる命綱を解いたら、私はどこに行くんだろう」と思う。

「というか、そもそも“許容範囲”って、何に許容されて定められてんの」と思う。

許容範囲から出ちゃダメなのか?
飛び出すには遅すぎたのか?
今更やったら致命傷?



何もかもがしがらみに思える。

社会とか会社とか稼ぐとか働くとか、そんなこと何も知らずに働き始めて、寮に入って、体力も無いのにザ・体力勝負みたいな仕事して、疲れて。

学生時代に手を伸ばしておくべきだったことが今更気になって、今なら手が届きそうなのに、命綱が体に絡まってるみたいな。



この命綱、離したらきっと苦労する。

何も分からないのに、何も武器も無いのに、いきなり振り解けるのか?

どうせ解くことなんか無いから、今じゃなくて良いだろうって、そうやって見過ごしてきた知識とか技術が今更惜しい。



どうすればいいんだろう。

どうすれば“いい”って、何が“いい”なんだろう。

正解なんか無いけど、今の私の最善って何なんだろう。

最善を選ばなきゃならないんだっけ。

最善なんて選べるものなのかな。

最悪じゃなければいいのかな。

最悪って何なんだろう。

私もう頑張った?

頑張りって人それぞれじゃないのか?

とはいえ「それはまだ頑張ってないよ」って言葉が痛い。

でもそもそも頑張ってからじゃなきゃ辞めちゃいけないのか?

頑張るっていつまで?

一年もいたら辞められなくなっちゃうんじゃないの?

どのくらい頑張ればいいの?





そのうちに、今この命綱を手放してみたいって気持ちは、消えちゃうんじゃないの。

この根性無しが。

そう言われて腹が立って、なにくそと踏ん張って根性を見せられる人の方が地球上には多いのだろうか。



「この根性無しが」

と、面と向かってはっきりと言われたわけではない。
そんなキツい言い方してないし、本人はそんな意味を込めて言ったわけではないかもしれない。

それでも私にはそう聞こえたのだ。



小一時間かかる作業を、半分の時間以下で出来ないかと言われた。
何か無駄があるんじゃないかと言われた。

でも、私は無駄な工程を挟んでいるつもりは全く無い。
寧ろ生真面目に丁寧に仕事をしていると思う。

経験値はさほど変わらない筈の他の人と、何故こんなにも作業スピードが違うのか。
私だって甚だ疑問に思っていたくらいだ。



何だ?
何が違うんだ?
もはや時の流れが狂ってるんじゃないか?



そんなふうに思いながら、自分の作業について考えてみた。

そして、ふと思ったのだ。





…………作業スピードの違いの原因は遅い方にある、って、そんなの決め付けじゃないか?






経験値はさほど変わらない同期やアルバイトの、速さとミス。
先輩が店を閉めた日の翌日の朝、ちまちまと出てくる夜作業のやり残し。

遅いと言われるけれどミスはせず、やり残しを片付けるのも仕事のうちだと律儀にきっちりこなす私。



私が原因……なのか……?
本当に……?
私が丁寧にやるからいけないのか……?
抜きどころを覚えろって話か?
抜けてたら「ちゃんとして」って怒られるのに?
手を抜いていいの?
みんなが“ちゃんと”すれば、私ももう少し速くなるし、みんなは少し遅くなるけど、漏れや無駄の無い仕事が出来るんじゃないの?
スピードばっかり意識するから、肩身の狭い新人が皺寄せを抱え込んでしまうんじゃないの?

そうじゃないにしても、人間ずっと歩き回って仕事してたら疲れるし、8時間もずっと疲れた顔を見せずになんて無理な話だし、元々体力も無いから余計疲れるし、そんな中でもミスをしないで丁寧に仕事をしているだけ偉くないか?





つーかさ、そういや考えてみれば、私は昔からスピードを求められるとダメなんだ。

急いで家を出ると忘れ物をする。
急いで字を書くと間違える。
急いで化粧するとミスる。
急いで着替えると前後ろ間違える。
急いで喋ろうとすると何も言えなくなる。

急いでいると頭の回転が追い付かない。

丁寧さで褒められたことはいくらでもあるけど、スピードで褒められたことは一度も無い。
体力を褒められたことも無いし、鍛えようと思ったことも無いから、速さを出そうとすると一瞬で、そのうえ余計に疲れてその後に響く。





ふむ……………………この仕事、向いてないなぁ。

“好き”の部分、ちょっと狭すぎたな。
大好きなことほどのんびりやりたいから、好きすぎても仕事に出来ないけど。

大して好きでもないうえに、興味の無い部分が多いんだよな。

給料で許してるみたいなところあるよな。
給料少なかったらこの仕事選んでないもんな。

多少お金貰えなくてもいいかな。その分頑張ればいいよな。って思える仕事を探すべきだった。



後悔、に、なってしまっている。
本当に後悔するかどうかは、今後の自分で決まるんだけど。

今感じているこれは、後悔だな。

悔しいけど。私は選択を誤った。

私としたことが、私自身と向き合いきれていなかった。
就活を早く終えたくて、“一般的に内定が出る時期”に内定を貰っておきたくて。
“普通”に、“ちゃんと”、卒業して就職したくて。

流されたんだ、私は。
その一時の怠惰な欲望に流されたんだ。
流されて、面接官と一緒に自分のことまで騙しやがったんだ。

“普通”じゃなくなるのが怖かったんだ。
“普通”なんか無いって、あれだけ学んできたのに。



なんて居心地の悪いぬるま湯なんだろう。





ここで頑張り続けたくない。
だって、向いてない。

“向いてない”って、きっと“苦手”と違うんだ。

この仕事、苦手じゃない。
向いてない。
頑張れば、抜きどころを覚えれば、きっと私ここで働いていられるけど。
私そういうの嫌だ。
私が抜いて、誰かに皺寄せを回収してもらって素知らぬ顔をするなんて嫌だ。

周りが手を抜いてるんじゃなくて、単に私の作業が遅いだけだったとしても、私がスピードを上げるには手を抜くしかないんだから。

スピードを上げなきゃいけない。
でも手は抜きたくない。
両方のニーズに応えられるほど、私は頑張れない。





こういうの、世間では「根性無し」って呼ぶんだろうか。

……そう罵られても、なにくそと踏ん張れないあたり、本当に向いてない。

私の長所はマイペースなところです。

あぁ……違う、違うんだよ。



何が。

と言われると、説明し難いのだけど。





これは私の思い違いなのか、偶然なのか、それとも思う通りなのか分からないけど。

私が何か問いや嘆きを呟くと、憧れの彼女はいつも過去の記事をタイムラインに流してくれている。(気がする)



それは、今の私の背中を押すようで、

それでいて、むしろ、

「そんなんじゃダメだよ」と、

今の私を否定しているようで。





私は彼女のことが好きなので、

彼女の言葉が好きなので、

彼女の生き方が好きなので、

必ず目を通すようにしている。



新しい投稿があればそれも読む。

彼女の言葉は、私に多くを残すだろう。



けれど、今、

彼女と私の、

歩くスピードの違いをひしひしと感じ始めている。





色々あって、歩みを緩めていたり、立ち止まったり、歩もうとして戻って来てしまったり、

これまではゆったりと進んでいた彼女の足は、

今、きっと、駆け出し始めている。

走り出そうとしている。



それは私にとっても喜ばしいことで、そんな彼女のことが大好きだ。

何にも縛られず、自由に生きてほしい。

引き止めようとする声なんて振り切って、思うように、好きなように、楽しいところへ飛び出していってほしい。





そんな彼女に憧れている。

見習いたいところが沢山ある。





それでも、そもそも、

立っている場所が、私と彼女では違うのだ。



どちらが上とか下とかではない。

誰だって立っている場所は違う。



それは、歩んできた年月だったり、

お金だったり、家族との距離だったり、

出会いの数だったり。



色々なものが、違うのだ。



誰だって、彼女のように走り出せる。

誰だって、自由に生きられる。



でもそれは、今すぐ、というわけにはいかない。

いつだって人は変われるけど、じゃあ明日変われるかといったら、万人が変われるわけじゃない。

歩むのも駆け出すのも、一歩の歩幅はみんな違う。

他人と同じ歩幅では進めないときもある。



歩幅が違う。

体力が違う。

障害が違う。

道が違う。

靴も違う。





どこかで、彼女に振り切られはしないだろうと思っていた。

彼女にも、私の手を振り払ったりした覚えは無いかもしれない。

少なくとも手の届く範囲で、ゆっくり走り出してくれると思い込んでいた。

後ろを振り返りながら、いつでも戻れる距離を保って、偶に立ち止まって様子を見て。



そんなこと、あるはず無いのに。



私がゴール手前で伸びる長距離走者なら、彼女はスタートダッシュが持ち味の短距離走者だ。

80年の人生を、私が20年ごとに分けて走るなら、彼女は1年ごとに分けて駆け抜ける。

私は走り始めたばかりで、次のゴールまで先が長いので、まずはジョギングから。

彼女は走ると決めたので、全力でスタートダッシュを切るのみだ。



「私は待っててあげないよ」



いつだったか、彼女は確かにそう言った。

まったく、本当にその通りだ。

私が頭を悩ませていることに、数百メートルか数キロ先から応えてくる。

その数百メートルをどうしてやろうかというのが私には大問題なのだけど、先にそこを駆け抜けていった彼女にとっては過ぎたことだ。



分かってないな。

なんて、そこまで強い語気を含めるつもりは無いけれど。



過ぎたことなんかもう分かんないよね。

なんて、落胆しているわけでもないけれど。



スタート地点からゴールテープを見たら遠く見えるのに、

ゴール地点からスタートラインを見たらちょっと近く見えるように。



私には、彼女のいる場所はまだ少し遠くて、

ちょっとだけ、

――何て表現したらいいか、

ちょっとだけ、

“あぁ……違うんだよなぁ……”と、思うのだ。





とはいえ、「そんなところまで走れない」なんて言うつもりも無い。

偶然にも近くを走っていた彼女の、楽しそうな笑顔を見たから。

ゴールする喜びを語ってくれたから。



私には私のペースがある。

私は私のために走る。



彼女に追いつくためじゃない。

同じゴールは目指してない。

コースは自由、まっすぐじゃない。

寄り道だってしてもいい。

いつでも休憩して構わない。



彼女のスピードに追い付く日も来る。

追い抜く日も、いつか来る。

ふと同じ道を走っていることもある。

彼女の足跡を辿ってみる余裕も出来る。



私のペースは崩せない。



他人にペースを乱されない、その心得は学ばせてもらった。



大事なのは、憧れの彼女と同じ速さで走ることじゃない。

私のペースで進むことだ。














これは余談だが、友人らと公園に行ったとき、彼女が走り出し、友人らも走り、私は歩いた。

ゴーイングマイウェイ。

キーピング……マイペース……??



(私は英語が苦手だ。)














★憧れの彼女のnote
駆け出したい、飛び出したい、そんな人に読んでほしい。

https://note.com/sexrecipe

「同情するなら金をくれ」だ。

お金が無いから出来ないと思い込んでることに対して、
ただ「お金なんて無くても出来るよ」って言われても、
その発想すら無かったら「え、何で??」と困惑するだけで。



『何で出来るの?』

「やる気があれば出来るよ!」

『どうやるの?』

「それは自分で編み出すんだよ!」



いやいやいや待て待て待て待てよ。

やり方が分かってれば、考えがそこに至ってればやってるって。
分かんねぇんだって。あるいは現実的に考えて無理じゃね?って思っちゃってんだって。



「できるよ!」

って、何をもって言い張ってんのさ。



いわゆる慎重派というんだろうか、石橋を叩いて渡るタイプというんだろうか、そういう奴に「頑張れば出来るよ!」ってのは微塵も届かない。
「そんなのはただの綺麗事だよ!」とか「根性論は何の根拠にもならないよ!」とかそういうアレが返ってくるだけ。

具体性が欲しいんだな。
「例えばこうする」とか「貴方ならこれが得意なんだからこの方法なら使える」とか。



「何でそこまで面倒見てやんなきゃなんねぇんだよ」って?



じゃあ「出来るよ!」って言うだけ言って満足しないでくれや。
そういうの自己満足って言うんだぜ。



口を出すなら、放っておけないなら、最初の一歩だけはちょっと手を引いてやってくれ。

「こっちだよ」って道を教えてやってくれ。



道標的な本やらコラムやらは沢山ある。それを読めばいいと思うだろうけども。

不特定多数に向けて書かれたものじゃ具体性に欠けて、奴ら(というか私ら)には足りない。



「他でもない“貴方なら”」って。



自分の価値が分からないのかもしれない。
結局は他者の評価が意味を持つと思ってるもんだから、他者から「貴方のここに価値がある」って言われなきゃ自分に価値を見出せない。



果たして他者の評価にしか意味が無いのか?

とかいう疑問はまた別の話なんだが。



とにかく他人に言われなきゃ、というか言われても、自分の武器とか強みとかいうものがよく分からない。

特筆すべき価値が無いなら無いでいい。
「特に無いけど、それを身に付けるところから始めてみたら?」でいい。

私なりに私の得意分野はあるつもりではあるんだが、いいからちょっと答えてくれ。



きみ、私の価値はどこにあると思う?



それを参考に武器を選んでみるから。



…………そう、武器を選びたいんだ。

今思い付いた。



そもそも武器が無いと思ってる人もいるかもしれないが、「この属性の敵にはこの属性が強い」みたいなのあるじゃん。
「この武器にはこの武器で対抗すると勝率up!」みたいなのあるじゃん。

武器はあるんだよ。
どれ使うべきかなって。
片っ端から試せるだけの余裕は無いから、「どれで行くのが良さげだと思う??」って聞きたいんだよ。

いろんな人に聞くんだよ。
「どれが良さげ?」って。
それで一番信憑性の高いやつとか、一番声が多かったやつとか、そういうのを使う。

……かも知れないし、聞いといてアレなんだけどやっぱ私はこの武器しか使えねぇのかも知れない。



マジで何も分からんってのもある。



分からなさすぎて、「まずは何でもいいからやってみ?」って言われてやってみたら「えっ、やだ違うよ〜〜」とか言われてしまうヤツ。



何でもいいって言ったのに違うとかあります??

何でもよくないんじゃん??

えっ、どゆこと??



素人あるあるみたいな、今まさに新卒で新人であるあるなんですけど。

「違うよ〜〜!例えば〜…」って、オイオイオイ。
“例”あるやんけ。

その「例えば〜…」って、違うことしちゃう前に教えられなかったんか……????



私がひねくれてるのか……?



結局何の話だっけ……?

口を出すなら助言のひとつでもくれや。って話か。

ナントカをするなら金をくれ。ってやつか。
ちょっと違うか。
ナントカの部分が思い出せない。





いや、でも、「いいから片っ端からやりたいことやってみな!!」と言うなら金をくれ、とは思う。

手から現金湧かないかな。

「愛しい」と言わずに何と言う。

下心でもなく、戯れでもなく、“慈愛”という言葉が相応しいような、そんな温もりをもって、人に抱き締められたり、頭を撫でられたりすることが、こんなにも胸にしみるというのを、私はつい最近までわかっていなかったなぁ。



という話を、事細かに綴ろうかと思ったんですが。

以前読ませていただいた記事の言葉を借りるなら、温もりの心地好さも、貰った言葉も、髪を撫でる手指の感触も、“やわく淡く光って宝物みたいに思える”。

だから、”全部事細かに書いたらもったいない”。



もったいない、というか、あの時の感覚を文字に起す術を、私は持っていない。



あれはほんの数分くらいの出来事で、それをくれた彼女からすれば、よくあることかもしれなくて。

無理矢理に文字にしたところで、私がどれだけ感動していようが彼女にそれは伝わりきらないし、似たような感動を覚えた人が既に綴った文章と変わりない気がして。



過去まで遡って、「私はこうこうこうやって生きてきたから、だからこんなに感動しました」なんて書いたら理屈は伝わるかもしれないが、あまりにも味気無い。

もっと、もっと、こんな言葉の羅列じゃ伝わらないくらい。

人の傍がこんなにも心地好いなんて知らなくて、心地好いなんてもんじゃない、思い出せば涙が止まらない、こんなの他で二度と味わえないんじゃないかって、感動。



そこそこ事細かに語っているようだけど、こんなのでも全然足りない。


筆舌に尽くし難い? 違う。

胸が張り裂けそう? 違う。


「感動 類語」で調べれば出てくる言葉なんていくらでもあるけど、どれも違う。



あの感覚は、これらの言葉のどこにも無い。



私だけのものだ。

当事者でもある彼女にすら理解し得ない、私だけの。





こういうのをまるっとひっくるめて取り敢えず表せる言葉を、ひとつ思い付いた。

これだって、あの感動を表すには曖昧すぎるけれど、



これまで綴ったどの言葉よりも、腑に落ちるんじゃないだろうか。















引用させていただいた記事はこちら!↓

https://yuzukichixxx.hatenablog.com/entry/2020/01/17/222732

「やりたくないならやめちまえ」とはよく言うけれど。

それはね、凄く分かる。
やりたくないのに何でやってんの?って。
やる気の無い奴がやる気のある奴らに混じってるのは気分も良くないし。





けど、やめられない理由ってのがまた、分かる。





やめない理由を探すより、やめる理由を考えてやめちまった方がいいんだ。
お前の人生のためにならねぇ。



しかし、やめられねぇんだ。

やめられねぇんだよ。



四の五の言わずにやめちまえ!
行動あるのみ!

とか言わないでくれ。
四の五の言うのが私なんだ。
四の五の言ってみないと納得できなくてさ。



やめられないってのは、守るものがあるからだと思う。
格好つけた言い方だけど、高い給料とか、迷惑掛けられない家族とか、“これをやってる”っていうラベルのある自分とか、これを選んだ過去の自分のプライドとか……



それが下らないとか、だからそれを捨てろってばとか、そう思われるんだろうな。

そうだよな。
しょうもないモン守ってるよな。



でも、散々自分の人生なんてものよりも他の何かを守ってきた奴が、いきなり自分の人生最優先にしろって言われても戸惑うのは分かるんじゃないか?

今までずっとしてきたことを、「そんなん無駄!やめな!」って言われたら、ビックリするでしょ。

戸惑っちゃうでしょ。



言われた通りにやめちまうか、自分以外の守りたいもの守り続けるのか。
それだって決めるのは自分なんだから、決めたらぶーすかぐーすか言わずに決めた通りにしてりゃいいんだが。



人生まだまだ未熟なもんで、迷うんだわ。

隣の芝生は青く見えるし、「おっ、これいいかも」って思ったらやってみよっかなぁ……でもな〜〜〜どうしよっかな〜〜〜〜〜!!ってなるんだわ。



なにしろ、ぶーたれたって何だかんだ今の状況にも良い所がある。

不満もあるけど、100%満足はなかなか得られないし、どうすれば100%満足なのか分からんし、多少妥協しつつ、妥協したとこのガス抜きに愚痴垂れつつ、楽しんでんだな。



だから捨てきれない。

どうしよっかな〜〜〜って。

捨てた先が今より満足に近いのか遠いのか分からないから、捨てがたい。



そして探すわけだよ。

やめない理由。

そして踏み留まるんだよ。

「“次”が今より良いって分かったらやめちゃおう」って。





いや、たぶん、こういうタイプは、やめない。



未来なんか分からないんだから、マジで何かすげぇレアな体験して「これっきゃねぇわ!! これのために俺は生まれてきたんだ!! これが俺の歩む道だぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」ってロケットの如く気分ブチ上がらないと。



なかなか無いよそんなん。

それこそ、そういう体験掴むために行動するんやで??

そのために今を捨て行くんやで??

現状維持だけしてて何か白馬に乗って来るとでも????



来ねーーーーーーーよ!!!!!!!!!



そんだけ運が良けりゃ今ごろ宝くじで大当たりですわ!!!!!!!



とか何とか言いながら同年代よりそこそこ高めの給料と家族を盾に現状維持して白馬に乗ったカモネギ待ってんのは私なんだが。



そういう奴はどうしたらいいかって?

白馬待たずに駆け出せないけど、でも鴨に葱背負ってきて欲しいな!って奴はどうしたらいいかって?



知らん。



知らんけど、金さえあれば家族に迷惑掛けない事はできるんじゃねぇか?

知らんけど、現状維持しつつ宝くじ買うとか何か応募するとかしてワンチャンは狙えるんじゃねぇか?

知らんけど、そこで一個目標立ててそれ達成したらもうラベル回収称号GETでいいんじゃねぇか?

知らんけど、現状が始まったときより成長したんじゃね?って思えてたらそれでいいんじゃねぇか?



知らんけど、私はとりあえず金を貯めてしまいたいよ。





要するにタイミング。



今すぐ、じゃなくていい。



人間いつ死ぬか分からないけど、一応今のところ寿命は長い。

DEAD or ALIVEってくらいやりたくて堪らんなら、それはもう今DEADなうだからALIVEしに行け。
そこは迷うな。
もうやっちまえ。
命に代えられるモンは無いぞ。



しかし「〜〜できたらいいな、いつか」くらいなら、焦らなくていいと思う。

マジで「いつか……」って思ってるとその「いつか」はずっと来ないけど、目処を決めてしまえばいい。



ここまでやったら、次に行こう。



とりあえず、それでいいんじゃない?

ここまで、って決めておけばいいんじゃない?



そのタイミングが来たとき、心変わりしてたっていいじゃん。

その時はその時の自分がまた考えてくれるよ。

こんだけ今考えてんだから、その時もちゃんと考えられるよ。





「ここまで」

その時まで、そこまで、頑張っとこ。

無理はしないでいい。

「ここまで」

そこに届きそうになくなったら、ちょっと手前に線を引き直したっていい。

その時は仕方ないじゃん。

だって届かないんだもん。



無理だけはしない。

頑張りすぎない、頑張りを。










ちなみに、私はとりあえず100万円。

もしくは、とりあえず半年。

身体の無理が来る前。


それまでは、四の五の言いながら、頑張ってみますよ。