私の長所はマイペースなところです。
あぁ……違う、違うんだよ。
何が。
と言われると、説明し難いのだけど。
これは私の思い違いなのか、偶然なのか、それとも思う通りなのか分からないけど。
私が何か問いや嘆きを呟くと、憧れの彼女はいつも過去の記事をタイムラインに流してくれている。(気がする)
それは、今の私の背中を押すようで、
それでいて、むしろ、
「そんなんじゃダメだよ」と、
今の私を否定しているようで。
私は彼女のことが好きなので、
彼女の言葉が好きなので、
彼女の生き方が好きなので、
必ず目を通すようにしている。
新しい投稿があればそれも読む。
彼女の言葉は、私に多くを残すだろう。
けれど、今、
彼女と私の、
歩くスピードの違いをひしひしと感じ始めている。
色々あって、歩みを緩めていたり、立ち止まったり、歩もうとして戻って来てしまったり、
これまではゆったりと進んでいた彼女の足は、
今、きっと、駆け出し始めている。
走り出そうとしている。
それは私にとっても喜ばしいことで、そんな彼女のことが大好きだ。
何にも縛られず、自由に生きてほしい。
引き止めようとする声なんて振り切って、思うように、好きなように、楽しいところへ飛び出していってほしい。
そんな彼女に憧れている。
見習いたいところが沢山ある。
それでも、そもそも、
立っている場所が、私と彼女では違うのだ。
どちらが上とか下とかではない。
誰だって立っている場所は違う。
それは、歩んできた年月だったり、
お金だったり、家族との距離だったり、
出会いの数だったり。
色々なものが、違うのだ。
誰だって、彼女のように走り出せる。
誰だって、自由に生きられる。
でもそれは、今すぐ、というわけにはいかない。
いつだって人は変われるけど、じゃあ明日変われるかといったら、万人が変われるわけじゃない。
歩むのも駆け出すのも、一歩の歩幅はみんな違う。
他人と同じ歩幅では進めないときもある。
歩幅が違う。
体力が違う。
障害が違う。
道が違う。
靴も違う。
どこかで、彼女に振り切られはしないだろうと思っていた。
彼女にも、私の手を振り払ったりした覚えは無いかもしれない。
少なくとも手の届く範囲で、ゆっくり走り出してくれると思い込んでいた。
後ろを振り返りながら、いつでも戻れる距離を保って、偶に立ち止まって様子を見て。
そんなこと、あるはず無いのに。
私がゴール手前で伸びる長距離走者なら、彼女はスタートダッシュが持ち味の短距離走者だ。
80年の人生を、私が20年ごとに分けて走るなら、彼女は1年ごとに分けて駆け抜ける。
私は走り始めたばかりで、次のゴールまで先が長いので、まずはジョギングから。
彼女は走ると決めたので、全力でスタートダッシュを切るのみだ。
「私は待っててあげないよ」
いつだったか、彼女は確かにそう言った。
まったく、本当にその通りだ。
私が頭を悩ませていることに、数百メートルか数キロ先から応えてくる。
その数百メートルをどうしてやろうかというのが私には大問題なのだけど、先にそこを駆け抜けていった彼女にとっては過ぎたことだ。
分かってないな。
なんて、そこまで強い語気を含めるつもりは無いけれど。
過ぎたことなんかもう分かんないよね。
なんて、落胆しているわけでもないけれど。
スタート地点からゴールテープを見たら遠く見えるのに、
ゴール地点からスタートラインを見たらちょっと近く見えるように。
私には、彼女のいる場所はまだ少し遠くて、
ちょっとだけ、
――何て表現したらいいか、
ちょっとだけ、
“あぁ……違うんだよなぁ……”と、思うのだ。
とはいえ、「そんなところまで走れない」なんて言うつもりも無い。
偶然にも近くを走っていた彼女の、楽しそうな笑顔を見たから。
ゴールする喜びを語ってくれたから。
私には私のペースがある。
私は私のために走る。
彼女に追いつくためじゃない。
同じゴールは目指してない。
コースは自由、まっすぐじゃない。
寄り道だってしてもいい。
いつでも休憩して構わない。
彼女のスピードに追い付く日も来る。
追い抜く日も、いつか来る。
ふと同じ道を走っていることもある。
彼女の足跡を辿ってみる余裕も出来る。
私のペースは崩せない。
他人にペースを乱されない、その心得は学ばせてもらった。
大事なのは、憧れの彼女と同じ速さで走ることじゃない。
私のペースで進むことだ。
これは余談だが、友人らと公園に行ったとき、彼女が走り出し、友人らも走り、私は歩いた。
ゴーイングマイウェイ。
キーピング……マイペース……??
(私は英語が苦手だ。)
★憧れの彼女のnote
駆け出したい、飛び出したい、そんな人に読んでほしい。