長過ぎる言い訳か、それとももっと大層なものか。
先日の記事にアンサーを頂いて、改めてTwitterで連ねた言葉を纏めておきたい。
アンサー記事↓
https://note.com/yuzukichi_/n/n551908e54c60
まず、あのブログは私宛であり、私の独り言であり、「そんなこと考えて生きてる人がいるんだなぁ……ふぅん……」くらいの軽い気持ちで読んでもらって構わない。
私が正しいとは思わないし、良し悪しなんかをかけて議論するつもりも無い。
抱いた感想を私に送るのは自由だし、共感する人もいれば、アンサーをくれた彼女のように憤る人もいるだろう。
けど、私には貴方の考えを捻じ曲げる気はさらさら無い。
反論は出来ない。
せめて誤解が無いように、結局また同じようなことを繰り返し言うだけのオウムにしかなれないので、そこはご理解頂きたい。
なので、これもアンサーへのアンサーのようで、独り言で、自問自答なので、これを読んで頭がこんがらがるようならば「何なんだコイツもう知らねぇ!!」と投げやって欲しい。
それと、他にも誤解された人がいたら申し訳無いのですが。
同性愛や夜職について、私個人は何も異常だと思ってないです。
ただ、あくまでも、未だにそれらを異常とか特別だと思っている世間一般(といっても私の周りの大多数でしかないが)の視点を借りて、「イレギュラー」と言ったまでです。
私自身、当事者ですし、私にとってはこれが“普通”なので。
世間が「イレギュラーだ!」と特別扱いをするものを、私個人が初めてまともに身の内に孕んだな……と、恋愛に関しては世間の言う“普通の恋愛”から外れてるんだな……と、感心(?)しただけです。
以下、自身のTwitterより抜粋。
友人に先を行かれたことが悔しくて涙した日も、関わりの無さ過ぎる祖父が死んで何も感じなかった日も、人前に出る事が好きだった幼少期も、男勝りでデカい面掲げてた小学時代も、中二病を若干患って気取っていた中学時代も、継続力の無さで友人に再度差を付けられて虚無っていた高校時代も、その友人より出来る奴だと思いたくて演劇サークルでちょっと頑張ってみたりした大学時代も、
今思えば、取るに足らないつまらない日々だったと思うのです。
出会った友人達はかけがえの無いものだと思う。
学生時代から現在も縁を残していたいと思える人がいるのも、素晴らしい事だと思う。
でも、ふと過去を振り返ってみたとき、「いやぁあの頃は大変だったけど、あれが無きゃ今の私は無いな」なんて言える瞬間が、無い。
過去全てひっくるめて今の私があるんだから、特筆すべき所が無くても、寧ろ過去全て特筆すべきであるからこれぞというワンシーンが出せないのかも知れない。
そうだとしたら私の人生まだ二十年とちょっとですけど、ずっと薔薇色だ。
ずっと幸せな、呑気な人生だ。
ところで私ね、仄暗いキャラクターが好きなんです。
そう、過去が重たいやつ。
泣けるエピソード持ってるやつ。
で、ずっと幸せでハッピーエンド迎える運命にある超光属性なやつは好みじゃないんです。
なんか、仄暗いアイツより薄っぺらい気がして。
だからかな。
いや逆に自分が光属性だから自己嫌悪的なアレでキャラクターも好みじゃないのか。
鶏が先か卵が先か。
どっちでもいいか。
とにかく、自分の人生も、やたら薄っぺらく見えるんですよね。
実際光属性は人生が薄っぺらいって言ってるんじゃないんですよ。
その人にはその人なりの紆余曲折があって山があって谷があって生きてきてると思いますよ。
それでも何となく、仄暗い奴の方が人生深みがあるように見えません?(共感されなかったら申し訳無い)
とはいえ、人生の山はともかく、谷ってその人のメンタルの強さで変わったりしないか?とも思う。
ある人は深い挫折と思って立ち止まったり落ちてしまったりする谷でも、ある人はあっさり橋かけて進んじゃうみたいな。
もしそうだとしたら、谷の無い人生を送ってきた私、バチクソにメンタルが強かったとかワンチャンある?
……まあ、精神バチボコに殺される前に逃げる避ける守る他人を犠牲にするetc…が出来るタイプの卑怯者の自覚はありますが。(最後のはマジでクズだったと思ってる)
山も谷も上手いこと避けるなり楽に通るなりしてきたから大した実感もなく感動もなく平凡だなーとハナクソほじりながら今も歩いているのか。
家族を放って旅に出たら、世間一般からは良い目で見られない夜職に飛び込んでみたら、“世間的に言う”、進むべきレールを踏み外してみたら。
面白い人生開幕!
……なんて事になる、とは、多分、思っちゃいない。
というのも、アンサーソングを頂いて「面白いもんがあるとでも本当に思ってんのか?」と問われて、「……いや思わねえな」と思い返したんだが。
いや、思っちゃいねぇんだわ。
思わねぇよ。
だって、そこに飛び込むの、私なんだもの。
結局私だから。
山も谷もスイ〜っと躱す私だから。
めっちゃ安全に旅して、めっちゃ健全に働いて、普通に「働くの嫌だな〜〜」って言いながら歩くんですよ。
何も面白くない。
だから、無いものを強請って羨んで、あーだこーだ言ってみるんです。
あーでもねえ、こーでもねえ、これも気に食わねえ、つまんねえって。
じゃあ何が面白いんだよって。
そりゃ、私以外の誰かの人生よ。
私以外の誰かの人生、めっちゃ面白い。
私の人生、想像ついちゃうんだもん。
想定外の事が起きても、然程驚くことじゃないんだもん。
出来ることと出来ないことが分かりきってる。
多分これくらい頑張ればここまで出来るだろうなってのも、謙遜無く想像出来る。
ちょっとそれを上回ったくらいで、「うわーすごい!!やば!!」とはならない。
何をしたって私には私の想定内の結果しか生まなくて、想定内の事しか起きない物語なんてそりゃあつまらない訳で。
他人のは良いよね。
想像付かなくて。
私も結局は世間一般の一人だから、他人が世間の驚くような事をしていれば私も驚くし、おもしれえなって感想が湧いてくる。
だから永遠に、私は無い物ねだりをするしかない。
自分で敷いたレールの上からは外れられないんだから。
山も谷も、自分で安全なレールを作って進む。
つまんねぇなって言いながら、きっと他人が羨む人生を進む。
流石に未来見通せる力は無いし、犯罪に巻き込まれるとか事故に遭うとかは想定外過ぎるけど、大抵のことは数パーセントの確率も無い事でも「こうなるかも」っていつも想像して心配して頭回してて、何かあっても「うわ〜〜!!マジか〜〜〜〜ちょっとそんな気はしてた〜〜〜〜!!」と冷静な自分が残る。
だから多分、試験に受かっても反応薄いし、落ちてたとしても「まあそうだろうな」って納得するし、賞を取ってもぶっちゃけちょっと自信あったとこあるし、……他人に関わるのが一番なんだよなぁ……きっと…………。
想定外を孕んだ他人と過ごすのが一番心地良い。
だから、彼女といるのも心地良い。
アウトローな人を振り回すキャラとか人が好きなのはそういうことなんだと思う。
私の脳みそが追いつかない所へ引っ張って行って欲しい。
「人生何が起きるか分からない」なんて、フィクションですよ。
他人と深く関わらない限りはね。
フィクションに思わない人は、それなりに他人というイレギュラーに深く関わっているんだと思う。
知らんけど。
私はそう思ってる。
“普通”が良いことか悪いことかなんてのもどうだっていいんですよ。
ケースバイケースよ。
そもそも定義があやふやなんだから良し悪しもあやふやよ。
「普通にしてたら問題無いから!」ってオフィスカジュアルという服装についてざっくりと言い放たれて「その“普通”を教えろってんだクソ」と思ったりすることもあるくらいには“普通”って単語は好ましくないと思ってる。
使うけど。
マジ“普通”って意味わかんねぇ。
お前の言う“普通”の定義をまず述べよ。
自慢とかではなくて「きっと他の人が考えない事まで考えて沢山悩んじゃうんだろうね、賢いから」と件の先生から言われたときには、褒めてるのか貶してるのかよく分かんねぇなと思ったけど今思うと的を射てる。
賢いからなのかは知らんが。
賢いって何を基準にしてるんだ。
賢いから、って後付けなのでは?
他人の事も、親しくなるとちょっと想像が付く。
たぶんこうするだろうな、これ不満なんだろうな、こうすれば喜ぶ(機嫌が取れる)だろうな、なんて。
100パーセント正しく合っているのかは知らんけど。
大体合ってた、と思う。
でも稀に、突飛な事をする人がいる。
想像から頻繁に外れる人がいる。
そういう人って、世間的にはネガティブなイメージを持たれる要素を持ってる事が多いんだけど。
私はそれが好きだ。
突飛であるほど好きだ。
やること成すこと、どれも想像を超えて面白いから。
そういう人と関わりたい。
そういう人の“面白い”を分けて欲しい。
私からそういう人へ何か分けられるものがあるかは、私には分からないけど。
もしあれば、持っていって構わないから。
無ければ、作れるようにしようかなとちょっと頑張ってみたりするから。
面白い人が好きだ。
思い通りにならなくて、だからこそまた面白い、そんな人が好きだ。
同性を好きになるのも、一人暮らしをするのも、意外と家事出来てるのも、想定内です。
そんな気はしてた。
YDKでした。私、やればできちゃう子。
拍手。
ちはみに理想と想定は違う。
理想は想定の中に入ってる。
理想じゃない想定もある。
ある意味想像力が豊かなんだと思う。無駄に。
今、楽しいかと聞かれると、面白い彼女と、彼女が連れてくる面白い人達がいる人生の真っ只中という意味では楽しい。
仕事をしている自分はかなりつまらん。
本格的に仕事が始まったら面白くなるかもしれない。
つまらないままかもしれない。
この“面白い”には“辛い”とかっていうネガティブな要素も含んでいい。
ブラック企業かもしれないとか面白い。
面白くないが、面白い。
でもこの時点で想定してしまったので実際にブラックだった時のリアクション薄いよな……とちょっとガッカリ。
平和にホワイトなのが一番だと思うよ。
つまらんけど。
私一人では突飛な事なんか一生起きないよ。
自分しかいないなら結果なんか目に見えてるでしょ。
だから人と関わりたい。
面白い人を探しに行きたい。
私が想像しない事をやってのける人に会いたい。
考えるより先に動く人について行ってみたい。
ただそれだけの話。
「考えが甘い」とか「若いね〜」とか、言われるの、ぶっちゃけ腹が立つんですよ。
仕方無いだろ甘い人生生きてきたんだから。仕方無いだろお前より若いんだから。
どうこう言われたってどうにもならない人生経験、年数。
そんなもん持ち出してきて「気に入らない」って、わざわざ。
いや、共感出来ないなら出来ないでいいですから。
いつか私が今の考えを「あの頃は若かったな〜〜黒歴史だわ〜〜」と言い始めるのをほくそ笑みながら黙って見てりゃいいですから。
私が人生の先輩と同じ考えならよろしいか?
結局何が言いたいの。
私に何を教えたいの。
私はどう聞く耳を持てばいいの。
私と貴方の違いを言いたいなら、「経験の差」なんて曖昧なまとめ方しないでよ。
「いずれわかるよ」って、今、手を離されて、それで?
私はまた、永遠に埋まらない経験の差を求めて、無い物ねだりするしかない。
「〜したいと嘆くならやってみりゃいいだろ」って、殴りたいんじゃないの。
「人に頼ってないで自分でやれよ」って、突き飛ばしたいんじゃないの。
ああ凄いブーメラン。
殴ったところで突き飛ばしたところでうら若きあの子はぐうの音も出ず泣くだけで、思い通りになんかならないって知ってるのに。
出来るから言えること、出来ないから言えることなんだよ。
出来るようになったら、出来なかった頃の自分の事なんか忘れてしまう。
まだ出来てない私はこう反論するしかない。
「それが出来れば苦労してない!!」
彼女の影響を受けまくっているのは否定しない。(彼女の友人にも言われたのに否定できるわけが無い)
というか否定する必要がない。
そうです彼女の起こす波に乗らせてもらってます。
彼女の波に乗ってみるって決めたんだから、そりゃ乗りますよ。
乗らなきゃ損でしょ。
でなきゃ何の為にあそこまでしたのか。
人の波に乗ることすらしてこなかった私にとっちゃなかなかの第一歩ですから。
(今更ですが“彼女”とは“あのひと”という意味合いであって所謂“恋人”ではないです)
私の何が逆鱗に触れたのか……というかそこまで怒らせたのかは本質的にはよく分からないし、私は怒ってないし、寧ろ言葉をここまで引き出してくれる存在がいて有り難いと感じてる。
喧嘩じゃないです。
自分で何かを成し遂げるなり何なり何かしらのきっかけが無い限りこの考え方は永遠に変わらないと思う。
アンサーをくれた彼女のように何か憤りを覚える人が他にもいるかもしれない。
けど私は変わらない。
昔から変わらない、言葉ではきっと変われない。
──から、似たような反論は聞くけど返さないです。
同じ事しか言えないので。
時間が解決してくれるかもしれないし、何か物事が必要なのかもしれない。
分からないけど、もし変わることがあったら、今夜の私の話はきっと青臭い黒歴史になるだろうな。
青臭え〜って笑える将来が来るといい……のか……?
以下、同性愛や夜職は異常だって話は全くしてないよという話。
これはちょっと書き方が悪かったような……とはいえ原文を直すにしても尚更こんがらがってしまうので、ここで弁解を。
私の周囲大多数からすると未だに異常だと思われてる事柄を初めてまともに抱いたな、と。
私個人的には、恋をしてるっていう一大事ではあるけど、異常でもなんでもない。
とはいえ、恐らく親なんかに報告すればえらいこっちゃと一騒動起きる程度には少なくとも“普通じゃない”。
いや、相手が異性でもえらいこっちゃなのか。
というか普通じゃないって言い方も何かおかしい。
となるとわざわざ同性なんですとは言わなくても良かったような……そもそも綴りの難しい事柄を入れる必要無かったかもな……そこは反省……。
……夜職もそうだけど、世間様は可哀想だとかだらしないだとか言うけど、いや確かにやむを得ない事情で嫌だけど働かざるを得ない人もいるだろうけど、世間様が真っ当だと言う昼職と同じように真っ当に働いてる人もいるんだよな。
いろんな人がいるんだよ。
偏見や思い込みは尽きないけど。
私の今の職場もちょっと前までは(今もかもしれないが)、そういう扱いだったんだよな。
いやいやフツーにマットーな職場ですよ。
単に私が働きたくないだけで。
おわり。
私ね、平凡なんですよ。
地元の幼稚園に通いました。
仲のいい友人に恵まれ、楽しく過ごしました。
地元の小学校に通いました。
仲のいい友人に恵まれ、楽しく過ごしました。
地元の中学校に通いました。
小学校の頃からの友人とオタク街道を進み始め、腐海で水遊びするようになりました。
部活動は不真面目に3年間、何となく続けました。
高校では、「何かやりたい事が見付かるかも!」「なら受ける授業の選択肢は多い方がいいよね!」と、総合高校に通いました。
心理学とか、倫理とか、まあそこそこ興味のある分野は見付かりましたが、その道で将来仕事をしようとは思わず、とりあえず文系で大学を選ぶことにしました。
大学は、家から近くてAOで入れてちょっと変わった講義をする先生がいる大学に通いました。
文学、心理学、ジェンダー論なんかの講義をよく受けて、哲学のゼミで「某小説における“人間”とは?」的な卒論を書いて卒業しました。
就職先も夏には決まって、仕事の兼ね合いで一人暮らしを始めて、今は自宅待機と週に1回程度の出勤をしています。
私ね、平凡なんです。
いじめられたことも無いし、不登校になるくらい学校が嫌いだったことも無いし、部活動で挫折して人生を考えたことも無いし、「将来はこれをしてやろう!」みたいな野望や夢も無い。
普通に進学して、普通に就職しました。
職場も、朝早いのは嫌だなとか思うことはあっても、所謂ブラック企業なんて大層なものでもないし、平和です。
家族との仲も良いし、祖父母も健在だし、哲学ゼミに入れるくらいには思考型ですが鬱病になったりとかも無くて。
人生山あり谷ありとか言うけど、山も谷も無く、回り道してでも平坦な道を歩き続けて参りましたよ。
つまらん人生です。
つまらん人間です。
山や谷を経験してきた肩には、とてつもない苦労があったのだろうと思います。
きっと、「しなくていい苦労だ」と言ってくれる方もいるかと思います。
私も、苦労はしたくない。(だから平坦な道を歩き続けたのだが)
それでも、私はあなた達が羨ましい。
山あり谷ありの人生を歩んできた方からすれば、「何言ってんだコイツ」と思われるんでしょうね。
苦労もせずに山の頂上を拝めるか、とか。
苦労せざるを得なかっただけで、平和な方が羨ましい、とか。
それでもね、羨ましいんです。
無い物ねだりなので、羨ましさはお互い様なのだろうなとも承知ですが。
羨ましい。
山で、谷で、その道中で。
何となくレールの上をぶらぶらと進み続けた私には見えなかった景色や、手に入れられなかった物を、あなた達は味わったんでしょう。
だからこんなにも眩しい。
私とは違う。
歴戦の勇士はさすが、面構えが違ぇや!!
……そんなに羨ましいなら、目標や目的を持って苦労すればいいじゃん?
と、お思いでしょうが、それって結構難しいんですよ。
「平凡」っていうステータスが心身に染み込みすぎて、「結局まあ無理だろうな」とか思ってしまうわけですよ。
何より、平和すぎて、達成しなくても人生そこそこ前に進んでしまうんです。
人生終わったな……って瞬間が無いんです。
なんか平和自慢みたいですが、いつまでも道を外れることができないつまらなさに辟易してるんです。
会社辞めちゃおっかな〜〜!
旅に出ちゃおっかな〜〜!
夜の街で仕事探してみよっかな〜〜!
と、考えはするものの。
ブラックでもない弊社に迷惑掛けたくないし、まだ働いて半年も経ってないし、このご時世でまともな仕事してないし、お金無いし、雇ってもらえる気がしないし……
理性が強固すぎて一歩も踏み出せない。
平凡すぎてつまんねぇなって悩んでる人、理性強すぎん??
理性で生きてるじゃん。
欲望の自由を許してやりたい。
この記事も社員寮のベッドで、何年後まで私はこの部屋の景色を見詰め続けるんだろう……とネガティブに陥りながら指先をスマホに滑らせて書いているわけで。
こんだけ暇ならマジで旅に出れば良かったよ……。
2週間休みだった時期もあるんだぜ??
何してんだかなぁ。
結局は平坦なレールの敷かれた道から外れたくなんかないのか、ただ勇気がないのか、夢がないのか、夢を持つ術を平和すぎる日々に盗まれてしまったのか、ファッション鬱なのか。
とにかく、今日も今日とて、山あり谷あり人生の人々を羨みながら何事もなく飯を食い洗濯をし掃除をし、ああ買い物行かないと米がないな……とか面倒な用事を思い出しては、冷凍ご飯が尽きる前にはちゃんとスーパーに行ってしまう真面目っぷりを発揮するんです。
…………でも最近ね、好きな人がいるんです。
年上の、同性の方です。
この日本ではまだイレギュラーと言われる、同性愛ですよ。
とはいえ、もしかすると恋ではなくて、憧れとか、母性感じてるとか、それだけのことなのかもしれないんですけど。
(私は恋愛童貞なのでこれは恋愛感情だ!と断言出来ない)
(しかも彼女も山あり谷あり人生さんだと思っているので)
でも、まあ、これを恋と呼ぶのは私の自由なので。
そして、所謂ノンケの彼女が私の「こうしたい」に応えてくれるのは、世間的にはどんな言葉で表されるのか──恐らく恋をしている私が望む言葉ではないのだろうが──なんてのは知ったこっちゃない。
応えてくれる限り、私はそれは愛なのだと思う。
なので私の「恋」と彼女の「愛」が合体して、「恋愛」をしているということにして。
ほんの僅かなイレギュラーと共に、山あり谷ありな人生を私に少しずつ分けてくれる彼女との関係を通して、私もちょっとずつ、山や谷を進んでみたいなと思ってみたり。
私がレズビアンでも、バイセクシュアルでも、ずっと平凡なのだとしたら。
まだまだ遅れているとも言われる日本でも、苦しいことばっかりじゃなくて、こんなに平和に過ごせる人もいるんだよ、なんて、証明になったりしないだろうか。
……というのは、さすがに綺麗事ですかね。
余談ですが、Twitterだと140字を幾つも投稿して沢山書いた気になるのに、ブログを使ってみると意外と短い文章にしかならなくて驚きますね。
あと改行とか行間の良い塩梅が分からない。
レイアウトセンスが無くて困ります。
そして文字の線の太さとか、大きさとか、変え方が分かりませんね。
そういうの調べるのダルくなってしまって、なかなか。
ブログ書いてる人って、凄いなぁ……。(小並感)
御丁寧に痛むところに触れて、痛いほど抱き締めようとするからいけない。
人前に出ることが好きだったのは、幼稚園の頃と小学校の頃。
おゆうぎ会のダンスのセンター、おゆうぎ会の劇の主役、お楽しみ会の劇の主役、お楽しみ会の劇のサブメイン、お楽しみ会の劇のキーパーソン。
少しずつ先頭から離れたのは、人並みに恥を知る年頃だったからかな。
「人前が、怖い」
怖い。
「恥ずかしい」じゃなくて、「怖い」。
大好きな歌の授業で、声を張れなくなっていったあの頃。
少し大きな声で人を呼び止めることも出来なくなって、
人と喋ることが少し難しくなって、
言葉が詰まってしまうことが気になり始めて、
……それで、いつのまにか。
昔から、吃音気味だったのか。
誰かに何か言われてから、こうなってしまったのか。
思春期にありがちな、羞恥心の芽生えに過ぎないのか。
ずっと、分からない。
小学校中学年の頃。
人前で、一人で歌うテストがあった。
そこで声が裏返ってしまって、恥ずかしい思いをした。
中学の頃。
友人と動画を見ながら曲を口ずさんでいたら、「どっちか音痴じゃない?」と言われて傷付いた。
そんな記憶はあるけれど、それらがフラッシュバックしたことは無い。
思い出そうとすれば思い出せる。
「嫌だったなぁ」と、その程度。
トラウマなんて言えるほどのものじゃない。
いつから、だろうか。
何が、きっかけだったんだろうか。
なかなか治ってくれないこの性質を、
私は、
誰のせいにしたら、許してやれるんだろうか。
ばかみたいだな。
ばかみたいだな。
ばかみたいだ。
私なんだよな。
いつも、私なんだよ。
許すも許さないも、私なんだよ。
他の誰にも、わかるはずないんだよ。
思い出せない過去。
思い出したところで、変えようもない過去。
誰のせいにしても、
謝らせることもできなければ、治ってくれるわけでもない。
これがトラウマだろうが、そうじゃなかろうが、
何も関係ない。意味なんかない。
そこに、私を救いだしてくれるものなんかない。
大事にしたいものだけでいい。
大切なものだけでいい。
無いなら無いで、それでいい。
自分の辛い過去まで抱き締めてやる必要なんかない。
自分の過去は、嫌でも貼り付いて離れないんだから。
自分で抱き締めるには、あまりにも滲みるんだから。
あまりにも近すぎるんだから。
いつか大事な人を抱き締めてやれたら、それでいい。
それができる人間になれたら、それで許してやればいい。
今の私を、これからの私を、誰かに抱き締めてもらえるような人間にしてやればいい。
少しずつでいい。
自分からも、他人からも、愛される私に。