御丁寧に痛むところに触れて、痛いほど抱き締めようとするからいけない。

人前に出ることが好きだったのは、幼稚園の頃と小学校の頃。

おゆうぎ会のダンスのセンター、おゆうぎ会の劇の主役、お楽しみ会の劇の主役、お楽しみ会の劇のサブメイン、お楽しみ会の劇のキーパーソン。


少しずつ先頭から離れたのは、人並みに恥を知る年頃だったからかな。


「人前が、怖い」

怖い。

「恥ずかしい」じゃなくて、「怖い」。


大好きな歌の授業で、声を張れなくなっていったあの頃。

少し大きな声で人を呼び止めることも出来なくなって、
人と喋ることが少し難しくなって、
言葉が詰まってしまうことが気になり始めて、



……それで、いつのまにか。



昔から、吃音気味だったのか。
誰かに何か言われてから、こうなってしまったのか。
思春期にありがちな、羞恥心の芽生えに過ぎないのか。

ずっと、分からない。


小学校中学年の頃。
人前で、一人で歌うテストがあった。
そこで声が裏返ってしまって、恥ずかしい思いをした。

中学の頃。
友人と動画を見ながら曲を口ずさんでいたら、「どっちか音痴じゃない?」と言われて傷付いた。


そんな記憶はあるけれど、それらがフラッシュバックしたことは無い。

思い出そうとすれば思い出せる。

「嫌だったなぁ」と、その程度。

トラウマなんて言えるほどのものじゃない。





いつから、だろうか。

何が、きっかけだったんだろうか。





なかなか治ってくれないこの性質を、



私は、





誰のせいにしたら、許してやれるんだろうか。









ばかみたいだな。


ばかみたいだな。


ばかみたいだ。




私なんだよな。


いつも、私なんだよ。


許すも許さないも、私なんだよ。


他の誰にも、わかるはずないんだよ。



思い出せない過去。

思い出したところで、変えようもない過去。

誰のせいにしても、
謝らせることもできなければ、治ってくれるわけでもない。



これがトラウマだろうが、そうじゃなかろうが、

何も関係ない。意味なんかない。


そこに、私を救いだしてくれるものなんかない。




大事にしたいものだけでいい。

大切なものだけでいい。

無いなら無いで、それでいい。

自分の辛い過去まで抱き締めてやる必要なんかない。


自分の過去は、嫌でも貼り付いて離れないんだから。

自分で抱き締めるには、あまりにも滲みるんだから。

あまりにも近すぎるんだから。


いつか大事な人を抱き締めてやれたら、それでいい。

それができる人間になれたら、それで許してやればいい。




今の私を、これからの私を、誰かに抱き締めてもらえるような人間にしてやればいい。



少しずつでいい。



自分からも、他人からも、愛される私に。