「愛しい」と言わずに何と言う。
下心でもなく、戯れでもなく、“慈愛”という言葉が相応しいような、そんな温もりをもって、人に抱き締められたり、頭を撫でられたりすることが、こんなにも胸にしみるというのを、私はつい最近までわかっていなかったなぁ。
という話を、事細かに綴ろうかと思ったんですが。
以前読ませていただいた記事の言葉を借りるなら、温もりの心地好さも、貰った言葉も、髪を撫でる手指の感触も、“やわく淡く光って宝物みたいに思える”。
だから、”全部事細かに書いたらもったいない”。
もったいない、というか、あの時の感覚を文字に起す術を、私は持っていない。
あれはほんの数分くらいの出来事で、それをくれた彼女からすれば、よくあることかもしれなくて。
無理矢理に文字にしたところで、私がどれだけ感動していようが彼女にそれは伝わりきらないし、似たような感動を覚えた人が既に綴った文章と変わりない気がして。
過去まで遡って、「私はこうこうこうやって生きてきたから、だからこんなに感動しました」なんて書いたら理屈は伝わるかもしれないが、あまりにも味気無い。
もっと、もっと、こんな言葉の羅列じゃ伝わらないくらい。
人の傍がこんなにも心地好いなんて知らなくて、心地好いなんてもんじゃない、思い出せば涙が止まらない、こんなの他で二度と味わえないんじゃないかって、感動。
そこそこ事細かに語っているようだけど、こんなのでも全然足りない。
筆舌に尽くし難い? 違う。
胸が張り裂けそう? 違う。
「感動 類語」で調べれば出てくる言葉なんていくらでもあるけど、どれも違う。
あの感覚は、これらの言葉のどこにも無い。
私だけのものだ。
当事者でもある彼女にすら理解し得ない、私だけの。
こういうのをまるっとひっくるめて取り敢えず表せる言葉を、ひとつ思い付いた。
これだって、あの感動を表すには曖昧すぎるけれど、
これまで綴ったどの言葉よりも、腑に落ちるんじゃないだろうか。
引用させていただいた記事はこちら!↓